山田錦(SAKE DIPLOMA 勉強用)

「山田錦」は2016年、デビューから80年を迎えた。
 1923年、当時の兵庫県立農事試験場にて、「山田穂」と「短稈渡船 たんかんわたりぶね」の交配により誕生。1936年に命名、県の奨励品種に指定された。
 「山田錦」も「雄町」の系譜にあるといわれている。
「山田錦」の生産量は現在、酒造好適米の中でトップ。良質の麹が造りやすく、高精米にも向き、奥行きのある豊醇な味わいの酒を生み出しやすい。全国総生産量の約60%を兵庫産が占める。西日本を中心に2府37県が栽培。南は沖縄を除く九州各県、北限は温暖化の影響もあってか東北地方までのび、宮城と山形で栽培されている。また、鹿児島県は2016年産米から、「山田錦」を産地品種銘柄とした。
 「山田錦」の普及には、「村米制度」をはじめとする独特な歴史がある。

酒造好適米の村米制度

「山田錦」の故郷・兵庫県では、その誕生以前の明治20年代には、全国で唯一、特定の酒造家と特定の集落(村よりも小さい単位)との直接契約栽培「村米制度」が生まれていたと伝わり、その一部は今も継続されている。
 そのなかで、集落ごとの競争が生まれ、土壌や地形をはじめとするテロワールから栽培適地が見極められ、取引価格に差を設けるための集落ごとの格付けも行われてきた。

兵庫県の酒造米栽培の歴史

1884年:地租税により「質より量」の傾向が強まり、酒造米の品質が低下。
1893年:奥吉川村市野瀬の集落が西宮郷の酒造家、辰馬悦蔵(白高酒造)と交渉し取引開始。村井米制度の始まりといわれる。
1923年:「山田穂」と「短稈渡船 たんかんわたりぶね」の人口交配。
1936年:山渡50-7を山田錦と命名、栽培奨励品種に採用。
1938年:この年の村米格付け表が残る。
※仲次取引などもあり、仲次には、米の生産地で農家との交渉にあたる「山仲次」と、消費地にあたって酒造家との交渉を担当する「浜仲次」が存在した。
※当時の格付けは12ランクあり、米田村上久米(現在の加東市上久米)が基準価格であった。<米田村・上久米 一石43円10銭>
1940年:戦争が激しくなり、臨時米穀配給統制規則施行。米の県外への移出に統制がかけられる
1951年:食糧庁は、兵庫県下を2地区(A、B)に分類した地域別格差を設ける。翌1952年、3地区(A,B,C)の分類に変更
1962年:山田錦、史上最高の出荷量となる。
1963年:山田錦作付面積最大を記録(7,840ha。2019年産は5435ha)
1964年:従来のA地区に「特」を付け(一部、A 地区も残る)、かつ特A-a、特A-b、特A-c地区に分類
※その後、B、C地区での山田錦の栽培は行われなくなり、また1970年以降、特A-c地区に該当する集落はない。
1977年:JAみのり 東条ライスセンター竣工
1991年:醸造用玄米の品位が特上から三等までと規格外の6段階となる
2004年:山田錦の郷(山田錦の館)が三木市吉川町にオープン
2011年:山田錦の品質アップを目指して「ふるい目2.05mm調整」を実施
※JAグループ兵庫が取り扱う全産地において、生産者が調製時に使う動力米選機のふるい目を従来の2.00mmから2.05mmに変更、統一。より粒張り・粒ぞろいのよい山田錦が酒造に提供されることとなった。
2016年:山田錦生誕80周年

兵庫山田錦の産地

酒造好適米の栽培には、内陸の低山や丘陵地帯の山間、山麓または盆地で、風通しのよいところが適地とされる。それも南北よりも東西に開けた中山間の谷あいや盆地がよいそうだ。こうしたところでは、気温の日較差が大きく、それによって米の登熟や心白の発現がよくなる。
 また、瀬戸内海側から暖かい海風が吹く一方で、中国山地からは冷涼な山谷風が吹いて、気候条件を複雑にしている。
 多くの山田錦の産地の土壌の断面形態を見ると、表層から下層に至るまでモンモリロナイト(膨張性をもつ年度鉱物、スメクタイトの一種)を主体とする粘質土である。また、米のミネラル分となる石灰、苦土(マグネシウム)、カリウムなど塩基類をバランスよく含み、含有量も多い。そして、肥沃度が高い。

兵庫県産山田錦の特A地区

・特A-a:吉川町、口吉川町、東条、社”米田”、社”上福田”
・特A-b:社”上福田”、大沢町(最東)、志染町(最南)
など・・・・

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